ゲームは人生の役に立つか?それともゴミか?
ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話 - つきあたりを右に
はてブで人気となっていたブログ。
2014年2つ目の記事は、このブログを元ネタに
「ゲームは人生の役に立つか?それともゴミか?」というテーマでブログを書いてみる。
先に自分の意見の結論を書いておくと、
私も「ゲームは人生の役に立つ」派である。
冒頭のブログで、筆者が自分の人生では役に立ったという証拠を提示し、
自分は現職で少年時代に夢中になったアニメ、ゲーム、マンガ、どれもこれも「そればっかりに夢中じゃロクな大人になれない」と大人たちに言われてたものが自身の仕事で役に立っていますし、結果としてサービスのUXだとか、デザイン品質としてユーザーに提供する価値を出す努力を続けられています。
「何かが役に立たないムダなモノ」ではなく、「それを私の”何”の役に立てようか」という視点を持てるか という話です。よく「学校で習ったことなんて社会で役に立たないよ」って話する人いますけど、学校で得た芸術、デザインに関する知識や、そこでやってた実習で得た感性や経験は、プログラマーとして働いていた前職、前々職でも十分に役立てられました。
使いこなす気の無い道具は、そりゃ机の引き出しに閉まったまま「使わないし、使えない」ままになりますよ、ただし、それはその人にとってというだけの話。
(引用元)ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話 ~つきあたりを右に
で確かにその通りだよな、と思うわけだが、
それだとこのブログで引用して取り上げる意味がなくなってしまうので
もう少し掘り下げてみる。
さてどうするか。
「何かが役に立たないムダなモノ」ではなく、「それを私の”何”の役に立てようか」という視点を持てるか
特にこの部分に共感したわけが、ただ考えてみるとこのブログ筆者がゲームをしているときに
こういう視点をもてていたかというと、そうではないとは思う。
そういう視点を持って物事に取り組んだほうがもちろん
糧になりやすいが、おそらくその前のフェーズがあると思う。
まさに少年時代のゲームがそれだ。あるいは本や映画と置き換えてもいい。
少年時代はそういう視点を持っていないのが当たり前だが、
興味をもって夢中になって取り組んだことは
無意識に経験として蓄積され、役に立つ。
そうここでとりあげたゲーム筆者のように。