メビウスの輪考

世の中で起こっているコト、言論について思ったこと、考えたことを書き連ねます。

「ザ・サークル」はすでに起こっている

クーリエジャポン2月号に、「ザ・サークル」という小説が掲載されていた。

もともとはNYタイムズマガジンに抄録されていた小説だそう。

※以下ネタばれありで書くのでご注意を。

 

舞台はFacebookなどSNSでプライベートをシェアすることが

当たり前の現代(あるいは近未来)のとあるSNS運営会社。

主人公の女性はその会社の新入社員で仕事は勤勉だが、

就業時間後のパーティーや休日のイベントに参加しなかったところ、

そのことを人事部に問い詰められる。

 

理由は家族の容態が悪かったためであり、主人公の女性に非はまったくないのだが、

それでも人事部は、なぜそれを社内の誰にもいわなかったのか、

なぜ社内グループにそのことをシェアしたり助けを求めなかったのか、主人公を詰問する。

さらにはそれ以外にはカヤックをしていたという単なる趣味のことでさえ

それをシェアしなかったことを失態であるかのように驚いてみせる。

 

この描かれ方により、読者は主人公側に感情移入し、

この会社を気持ち悪く感じるわけだが、

なんのことはない、この会社はSNSが浸透した現代の会社や社会そのものなのだ。

 

振り返ると自分も、自分が実際にしたり、しようとする行動そのものよりも

それをシェアすることでそのことがSNS内で他人にどう評価されるか、

どういいねされるかという承認欲求の満たされかたばかり考えていたりする。

 

元アップルの松井博氏は紙面のレビューで

自分を盛ることに夢中な「意識高い系」の人やソーシャルメディアにハマりまくっている人たちにとってはすでに起きている現実かもしれません。それは自分が満足するかどうかよりも自分がどう見られているかに一喜一憂し、すべてを全世界に晒し続ける日常です。

と語っているが、まさに同感だ。

 

ただ、承認欲求は人間の根源的欲求であり、

ネットによってその充足ができる道が人々にひらかれてしまった以上、

そうした心理は、もう避けようもなく、

現代人はこれからずっとその病を抱え続けていかなければならないのだと思う。

もちろんそれを自制することや、症状を自覚することが

こういった小説によって少しは出来るのかもしれないが。

 

またこの小説で面白かったのは

この小説の会社が社員の仕事ぶりだけでなく、

勤務外や休日に社員がどれだけ会社のパーティーやグループに

リアルとSNSで参加、投稿したかを

パーティランクという評価基準によってランクづけしていたことだ。

 

主人公はこのあと人事部とのやりとりで洗脳され、

小説後半では積極的に会社のSNSに投稿し

このパーティランクをあげることに邁進するようになる。

 

そういう意味で、この小説は会社による会社コミュニティへの強要という

ブラック企業的な面と、SNSで個人情報のOPEN性が加速していることの

二つの側面を描いている。

というよりも、むしろSNSの浸透によって

リアルでブラックな企業がさらにバーチャルでも参加を強要するようになっていく

ということかもしれない。

 

筆者はこのブラック企業要素(会社によるコミュニティへの参加強要の要素)

を盛り込むことで、SNSでのシェアを求める社会を、わかりやすく企業に変換して

書いたのではないだろうか。

  

自分を盛ることに夢中なSNSにハマっている意識高い系の人間は必読の短編小説である。

 

 

※ちなみにこの小説の筆者のデイブ・エガースは

映画「かいじゅうたちのいるところ」の脚本をてがけた人物らしい。

処女作の「驚くべき天才の胸もはりさけんばかりの奮闘記」はピュリツァー賞候補。

 

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